– part 3

電車昭和元年

 

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 このシリーズでは筆者が少年時代に見た電車を描いたもので、平成の今ではもうほとんどみることはできない。当時どんな色だったか、証するものもないことから、自分としては塗り色にいささか自身もあって描いたものである。
昭和一桁時代は、大正時代に製造された多くの木造車と、初期の半鋼製車、近代形の先駆けともなった半鋼・全鋼製の電車が華やかに国鉄私鉄各路線で研を競っていた。

省線(鉄道省-のちの国鉄)は17m半鋼のモハ30・31・32が次の20m車時代の到来を予感させていたが、品川-横浜間では京浜電車が独特のポール電車51形で、果敢に省線に挑戦し、一方、地下鉄と同じ4’8’’ゲージで新たに横浜黄金町と浦賀間に開通した元祖“湘南電車”は軽快車体とSKFのローラーベアリング付台車で軽快に走り、後に京浜電車の改軌によって、品川-浦賀間が直通するようになった。
関東の老舗東武鉄道は早期に半鋼製車を充実させて、国鉄日光線の蒸気列車に対して優位にあったが、関西の電車のような豪華さはなく、当時、関東で関西の電車に対抗できた名車は武蔵野鉄道(のちの西武)の5560・5660で初期はクロスシートの良い車だったが、僅か2編成は寂しかった。
関西の電車で好きだったのは旧京阪の600・700で、併用軌道区間があるため、大きな救助網を設け車側に英語で社名を書いた洒落者だった。淀川沿いに走りカーブの多い旧京阪に対する新京阪は、いかめしい表情の電車だが姿に似合わぬ快速は、国鉄のつばめを追い抜くという評判がファンを喜ばせた。関西の電車で重量感に溢れるのは、旧大阪鉄道(現近鉄南大阪線)で私鉄電車としたは20m全鋼製で大阪から吉野まで直通する電車として知られた車である。

 

 

p32 モハ30 KeihinLine

省線(国電)モハ30系(モハ11)京浜線編成

p33 モハ32 YokosukaLine

省線(国電)モハ32系(モハ14)横須賀線編成

p34 デ51 KeikyuLine

京浜電車(京浜急行)デ51形 No.59

p35 デ1 KeikyuLine

湘南電車(京浜急行)デ1形 No.2

p36 デハ5 TobuLine

東部鉄道デハ5形(3210)編成                    (東武博物館様 蔵)

p37 デハ5560 SeibuLine

武蔵野鉄道(西武)デハ5560形 No.5561

p38 600 KeihanLine

京阪電車600形 No.627

p39 HankyuLine

新京阪電車(阪急)デイ100形 No.132

p40 デニ KintetsuLine

大阪鉄道(近鉄南大阪線)デニ形 No.533