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yasuyoshi

 

1935年頃、東京学生鉄道趣味連盟に参加し鉄道関係の交友を拡ける。太平洋戦争中は何ヵ所かの軍需工場への徴用の後、海軍の嘱託となって横須賀に勤務。1947年2月24日、運輸省鉄道総局嘱託となる。

連合国軍専用客車の外観と改造した車内の構造を立体的にカラー絵として残す作業に取り掛かった。当時はモノ不足でカラーフィルムなど望める時期ではなかったために依頼された。
展示室記録2

その後1949年はじめに運輸省鉄道総局職員に採用となり、車輌設計部門の旅客車担当となり、内装の色使いや各種の標記類、殊に1950年代以降の特急のヘッドマーク・ヘッドサインのほとんどを手がける。1969年、等級制の廃止とそれに伴うグリーン車の設定では、グリーン車のシンボルマークをデザインし功労賞を受ける。

1961年、鉄道友の会の会報、拡大版としてスタートした『鉄道ファン』の編集に関与、1962年には二代目編集長に就任。1969年12月号(103号)をもって、三代目編集長宮田寛之に引き継ぐ。その間、蒸気機関車専門の不定期刊行誌『SL』を創刊。

1972年の鉄道100周年を機に編纂された『100年の国鉄車輌』では国鉄部内の編集主幹。1977年春、国鉄を定年退職する。

1977年に株式会社エリエイ/プレス・アイゼンバーンに入社。その直前の1976年10月、プレス・アイゼンバーン刊の櫻井寛写真集『凍煙』を編集。1978年、『SL』の理念を引き継ぐ形で『レイル』を創刊。1977年10月に杵屋栄二写真集『汽車・電車』、1978年10月に『タイ国の蒸気機関車』、1981年3月に『草軽電気鉄道』、1982年に『形式シリーズ D51』第2巻と第3巻、1984年12月に『寿都鉄道』、1987年7月に『箱根越え』を担当した。

その他、講談社や小学館などでも鉄道関係図書のイラストを手掛ける。また、1985年に登場した新幹線100系電車の食堂車の出入り階段付近や妻壁にあった歴代東海道・山陽本線特急のエッチングの原画も手掛けている。1997年度鉄道友の会シルバー賞受賞(ちなみに鉄道友の会会章とブルーリボン賞・ローレル賞徽章のデザインも手掛けた)。

1997年秋の個展のあと、11月18日東京医科大学病院に入院。1998年5月8日午後10時28分、急性骨髄性白血病により逝去。享年75。没後、遺志によりヨーク鉄道博物館に英国製蒸気機関車を描いた絵画数点が寄贈された。